2021年コロナ禍のアメリカ赴任(フライト編)

赴任準備

私は2021年にアメリカに赴任しました。2024年現在、ときどき誰それがコロナにかかったというような話を耳にする程度で、日常的にはほとんど見聞きしませんが、当時は所謂コロナ禍の真っただ中でした。

今となっては当時要した事前検査や手続き関係を、自分事として必要とする人はいないと思いますが、過去の1つの出来事として残しておきたくこの記事を書きます。

事前のコロナ陰性確認

当時はアメリカへ入国するには出発3日前以内のコロナ陰性の確認結果が必要でした。接種した唾液での検査のみが有効で、私や妻は問題なかったですが帯同させる子どもたちにどうやらせるかというのが問題でした。

この内容についてではないですが、渡米前に福利厚生を担当している部署の人とひと悶着あったときに「嫌なら海外へ行かなければいい」というようなことを言われ、非常に非常に腹を立てたのを覚えていますが、こういう小さい(小さくないですが)苦労の積み重ねがあるということを本当に理解してほしいものだと思ったものでした。

時間の制限があるため、検査日が限られますし、万が一陽性になってしまった場合の計画まで考えておかねばならず非常に苦労を要したことの一つです。

羽田空港

国内移動(地方→羽田)

いざ空港に着いてしまえばことはスムーズ。なぜなら乗客がほとんどいないから。

チェックインを済ませ、妻子としばしのお別れ前の最後のひとときを過ごします。

羽田空港第2ターミナル到着

そんなこんなで羽田空港へ到着。乗客は少ないとは言え、まったくいないというわけではないのでまだらな流れに沿って出口へ向かいます。

空港内は下の写真からも分かるよう人が本当に少ないです。写真に写っているのはほぼ同じ便に乗っていた人のみです。

第二ターミナルから乗り換え。他の便の人がいない

第2ターミナルには色々お土産屋や飲食店がありますが、空いている店は限られており、一人なので適当に入りましたが子連れは選択肢が限られ苦労したかもしれません。

見るものがないのでベンチでボケーっとしていると、妻から入電(SIMは前日止めてきたので空港WI-FIを介してのLINE)。私が乗った飛行機が飛び立つのを見た子どもたちが飛行機のトミカがほしいと言っていると言うので購入を快諾。緊張している身に何気ない会話が染みる瞬間でした。

最後の日本でのご飯

羽田空港第3ターミナル

そんなこんなでターミナル間移動のバスに乗り国際線の第3ターミナルへ。

様子を一言でいうと本当に人がいない。乗客もいないし、働いている人もいない。下の写真見てもらうと分かりますが、開店前に特別に取材させてもらいました状態。

免税店での買い物は妻が海外赴任のモチベーションの1つにしていたので、それがなくなり取り持つのに苦労したことを今でも覚えています。

赴任時はラウンジはTIAT LOUNGEを利用。いたのは私一人のみ。本当に静かで、下手したら照明も落とされるのではと不安になるほどでしたし、うっかり寝てしまったら静かすぎて絶対起きない自信があったので眠らまいと必死でした。(この頃はコロナ前に対して便数が減っていたので私の場合は乗り継ぎの時間が5時間ほどありました。)

稼働率
ほぼ唯一開いていた免税店
誰もいない(タイミングは少し図った)
営業開始前にお邪魔しました状態
大人気のガチャガチャコーナー。にぎわっていますね。
文字通り貸し切り。

機中

搭乗後は人の少なさは気になりません。むしろ乗客数に対してCAさんの数は平時に対して多くなりますので、そういう意味では手厚いサービスを受けられたのでは?と思います。実際、妻が子ども2人を連れてフライトした際もかなり目を配ってもらえたようでした。

まとめ

この記事ではコロナか真っただ中でのアメリカ赴任(フライト編)をお届けしました。

これを見て、そうなのか!?と思われる人はいないでしょうが、同じ時期に赴任された人にとっては思い出話のような形でそうそう!とうなずいてもらえるのではないかと思います。

今となっては話のネタの1つとなりましたが、当時はコロナ真っただ中で家族を残すことや1人でアメリカにいくことなど色々な不安を抱えていました。その時の苦労を思い出して懐かしんで頂いたり、理解を深めて頂くことの一助になれば幸いです。

おわり

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